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関西学院グリークラブ デジタル資料館
"Haus Bötzingen"
■ 関西学院グリークラブの歩み
1889(明治22)年
神戸・原田の森にて関西学院創立。アメリカ人宣教師ウォルター・ラッセル・ランバスが初代院長に就任。授業はほとんど英語で行われた。
1899(明治32)年
生徒達による歌のグループが誕生、吉岡美國(第2代)院長の義妹岡島まさに指導を依頼。英語の賛美歌を男声4部合唱で歌う(関西学院本館講堂)。
1900(明治33)年
歌のグループは吉岡院長により「関西学院グリークラブ」と命名される。第5回英語会において学院初のカレッジソング「Old Kwansei」を初演(関西学院本館講堂)。
1901(明治34)年
第6回英語会で再び「Old Kwansei」を演奏。聞いていた生徒たちも唱和。
1902(明治35)年
山田耕作が入部。カルテットも組むなど積極的に活動。後に耕筰に改名、日本を代表する作曲家として活躍し、関西学院の校歌「空の翼」「緑濃き甲山」「A Song for Kwansei」などの作曲も手掛ける。
1903(明治36)年
神戸中央教会や神港倶楽部などでの慈善音楽会に出演、対外演奏を始める 。
1904(明治37)年
新築されたブランチ・メモリアル・チャペル(現神戸文学館)で行われた第9回英語会で演奏。
1905(明治38)年
指導を受けていたウェンライト普通学部長夫人が帰国。
1909(明治42)年
関西学院創立20周年記念祝賀会で演奏。
1910(明治43)年
OBの山田耕筰がドイツ留学前に来校、チェロ演奏と講演を行う。
1912(明治45大正元)年
高等学部開設、初代学部長ベーツが「Mastery for Service」を提唱。後に関西学院全体のスクールモットーとなる。
高等学部グリークラブが誕生。
1913(大正2)年
岡島まさ米国から帰国。グリークラブの指導を再開。
1914(大正3)年
「150名コーラス」出演、カルテットが好評(大阪青年会館)。
関西学院創立25周年記念式出演。
1915(大正4)年
普通学部が中学部に改称。この頃から高等学部グリークラブ単独での活動が増え、関西学院グリークラブの名が継承される。
高等学部英語会が開催して毎年出演している語学大会に出演(神戸青年会館)、翌日の新聞記事で賞賛を受ける。
1916(大正5)年
神戸市内各学校学生教職員及有志聯合大音楽会出演(神戸YMCA)。
大阪、京都などでも演奏、京阪神の音楽関係者の注目を集める。
由木康入部。後に「きよしこの夜」など讃美歌作家としても著名な牧師として活躍、校歌「緑濃き甲山」も作詞。
1917(大正6)年
初代顧問にグリークラブOBの畑歓三教授が就任。部内では初めて担当別責任者を決めて運営にあたる。
津川主一入部。後に教会音楽家・合唱指揮者としても著名な牧師として活躍。
1918(大正7)年
初代(学生)指揮者に最上級生の岩崎愛二を選ぶ。
新渡戸稲造講演会で演奏(関西学院内チャペル)。
グリークラブ主催による第1回歌の夕開催。
第1次世界大戦休戦祝賀会に参列、神戸市内の各国の領事館前でそれぞれの国歌を歌う。
1919(大正8)年
第2回歌の夕(日本メソジスト神戸中央教会)、第3回歌の夕(関西学院高等学部講堂)開催。
神戸滞在中のチェコ軍隊員と複数回にわたり交流を深める。「ウボイ」などの楽譜を譲り受け、送別会で演奏。
グリークラブのバインダーを制作。デザインは現在まで継承されている。
1920(大正9)年
初の演奏旅行を実施。金沢、軽井沢、長野、甲府、東京、名古屋など東日本各地で15日間で12公演。